MY TOWN  加賀・九谷焼・加賀温泉郷

 石川県の紹介と九谷焼、加賀温泉郷

石川県

白山

千枚田

山城温泉 女生水
「写真提供:石川県」
・石川県

 石川県は加賀藩が領地としていた加賀国、能登国で構成されています。

 加賀国では、応仁の乱のころ浄土真宗が農民の中心とした庶民の間に広まり、やがて農民らによる一向一揆がそれまでの守護大名の富樫政親を破り、天正8年に織田信長に敗れるまでの90年間、加賀は百姓の持ちたる国と呼ばれる様になりました。

 一向宗は本願寺に(後の金沢城の位置に)金沢御坊を作り、ここを拠点としました。
 本願寺と敵対する織田信長は、柴田勝家ら命じて一向一揆を平定して、能登を前田利家に、加賀を佐久間盛政に与えました。
 信長の死後、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家に勝利した豊臣秀吉がこの地方の実権を握りました。当初前田利家は柴田側に与していましたが、秀吉に降伏してその家臣となり、それまでの能登に加えて加賀も領して金沢を居城としました。

 また石川県は先の大戦で空襲を免れたため、各地に歴史的価値のある町並みや日本庭園が数多く残されていて、多くの観光客を集めています。

 県全体は金沢、能登、加賀、白山と四つの地域に大別されています。

・金沢では金沢城公園、兼六園、茶屋町など多くの文化遺産が保護され、陶芸工芸の技術、無形文化財に指定されている金沢素囃子など伝統文化が伝承されています。
・能登では、輪島漆器や朝市、千枚田など観光、景勝地が数多くあります。
・加賀では古くから伝わる温泉と九谷の焼き物など確かな技術が伝えられています。
・白山では白山国立公園に代表される様に豊かな自然に触れることができます。

 ここでは陶芸、工芸の観点から石川県の観光地を紹介します。

金沢美術館

加賀

九谷焼資料館

「写真提供:石川県」
石川県の南部地域を加賀と呼んでいます。

江戸時代には加賀藩とその支藩であった大聖寺藩、新田大聖寺藩で治められていました。
九谷焼は大聖寺藩内の九谷から始まりましたが、約半世紀後、突然廃窯になりこれまでの九谷を古九谷と呼んでいます。
1世紀を経て九谷焼はされて、再興九谷と呼び古九谷と区分しています。再興九谷の窯は加賀各地に点在していました。山代温泉にある九谷焼窯跡展示館では再興九谷に取り組んだ吉田屋の窯あとが保存展示されています。
また、九谷焼美術館が現在の大聖寺地方町に設けられています。

金沢美術館

九谷焼

九谷焼

九谷焼始祖「後藤才次郎紀功碑」(左)
「古九谷窯址」(右)
加賀市山中温泉九谷

九谷焼

九谷茶碗祭り

「写真提供:石川県」
・九谷焼き
 
 石川県では伝統を受けつぐ陶芸作品は多数存在しますが、九谷焼はその中でも代表的な陶芸品です。
 九谷焼はは、加賀藩の支藩であった大聖寺藩がその領地内の九谷に良質の陶石を見つけた事から始まったとされています。藩の事業として九谷焼が始まりましたが、1700年代初頭に突然生産されなくなり廃窯になりました。この期間中に制作された九谷焼を古九谷と呼び、再興されて後の九谷と区別しています。
 山師であった後藤才次郎が、陶磁器に適した陶土を江沼郡山中町九谷で発見した。九州佐賀藩(鍋島藩)の有田から技術を入れて制作が始まったとされています。
 古九谷は色絵磁器であり、白色地に花鳥、風景、人物画などを描いたものが多く、中国明時代後期の八種画譜を参考にして作成されたとされています。素地を、青・緑・紫・黄の彩釉で、作品全面を塗埋める青手も、古九谷特有とされています。
 青手古九谷とは、紫・黄・緑・紺青のうち二~三色を用いて赤色を使わないのが特徴とされ、古九谷に広く見られます。

 大聖寺藩古九谷の突然廃窯は古九谷にまつわる謎とされて、様々な議論がなされています。

金沢美術館

・九谷焼の再興
 古九谷の廃窯から、約一世紀後の文化4年(1807年)に加賀藩は九谷の再興を目指します。
 藩は青木木米という職人を呼び寄せ、金沢の春日山(現在の金沢市山の上町)に春日山窯を開きました。この窯開きを機に加賀各地に窯が開かれました。これらの窯の製品を「再興九谷」と呼んでいます。
 再興九谷の主な窯元(開窯)
・春日窯春日山窯(文化4年-1807年)・若杉窯(文化8年-1811年)
・小野窯(文政2年-1819年)・民山窯(文政5年-1822年)
・吉田屋窯(文政7年-1824年)・木崎窯(天保2年-1831年)
・宮本屋窯(天保3年-1832年)・蓮代寺窯(弘化4年-1847年)
・松山窯(嘉永元年-1848年)

 藩の振興もあり再興九谷は、隆盛期を迎えます。

 九谷庄三【文化13年(1816年)-明治16年(1883年)】は九谷中興の祖とされています。
 彼は能登呉須という顔料を発見してその後の九谷発展に貢献し、さらに中国景徳鎮を模倣した彩色の金襴手の手法を確立しました。
 現代九谷焼の特徴とされる呉須による線描、、「五彩」とよばれる、赤・黄・緑・紫・紺青の絵の具を厚く盛り上げて塗る彩法などはこの時期に完成します。

 明治期入ると政府は陶芸品の輸出を奨励して、九谷焼は各国の展覧会に出品されました。
 「KUTANI」と呼ばれて人気を博し、貴重な輸出品となりました。当時生産される80%は輸出用であったとされています。
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加賀温泉郷

安宅の関跡

粟津温泉・泰澄大師

山代温泉・男生水

山中温泉・鶴仙渓

片山津温泉・浮島堂

「写真提供:石川県」

・加賀温泉郷

九谷と並んで有名なものはやはり温泉です。
粟津温泉、山中温泉、山代温泉、片山津温泉を総称して加賀温泉郷と呼んでいます。




・粟津温泉
粟津温泉は西暦718年、奈良時代に泰澄大師によって開かれたと言われています。大師は霊峰白山で修行を重ねるなか「粟津なる村に霊泉湧出す。汝、ここにゆきて之を掘り、末代衆生の病患を救うべし」という白山大権現の霊夢に導かれてこの温泉を見つけたという伝説が残されています。

旅館数も十数件と小さな温泉街ですが、全ての旅館が自家彫りの源泉を持っています。それぞれが長い歴史を持っていますが特に『法師』という屋号の旅館は開湯以来の1300年の歴史を持ち、ギネスブックにも掲載されました。(現在は山梨県の慶雲館)


・山代温泉

北陸では最大の温泉地。開湯から1,300年と言われ再興九谷の吉田屋窯がこの地で開窯しました。現在その跡地は九谷焼窯跡展示館として保存されています。

日本の経済成長と共に繁栄をしましたが、バブル崩壊で多くの旅館が閉館しました。振興策として文化や歴史的価値を重点にイメージを作り、多様な客層に受け入れられるように街を整備しています。


・山中温泉

長い歴史を持つ温泉で開湯から1,300年と言われています。傷を負った白鷺が傷を癒しているところを発見し、あらためて掘ってみたところ温泉が湧き出たと言い伝えられています。
奥の細道の松尾芭蕉と曾良は旅の途中、山中温泉に八泊逗留しています。

山に囲まれた温泉一帯は鶴仙渓という景勝地であり、大聖寺川沿いに20数軒の温泉旅館が立ち並んでいます。
あやとりはしの近くには鶴仙渓に川床という施設があり、渓流の近くでお茶などが提供されています。
山中漆器と呼ばれる工芸品もこの地で発展しました。


・片山津温泉

柴山潟湖畔に古くに発見されていた温泉ですが、本格的に温泉地として発展したのは明治以降です。
最寄駅が山代温泉と同じ加賀温泉駅であり、同様に発展しましたが、バブルの崩壊と共に多くの旅館が廃業するという同じ道を歩みました。現在は15軒ほどの旅館が営業をしています。
柴山潟の自然を生かして屋形船・湖上花火、サイクリングロード整備などにより新しい片山津温泉を目指しています。

金沢美術館